福岡高等裁判所 昭和28年(ネ)378号 判決
控訴人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。
事実及び証拠の関係は、
控訴人において「被控訴人が訴外鶴省三から本件係争家屋を買受け所有権取得の登記をなしたこと、昭和二二年八月一三日解約申入のあつたこと、被控訴人が歯科医の材料商を営み、その長女が現に薬剤師の免状を有し、かつ婚姻をなすべき相当年齢に達していること、控訴人が九州配電株式会社を退職して佐賀市多布施町で農電社という商号の電気用品販売店を経営し、また、佐賀郡兵庫村に住宅用の家屋及び農地を所有すること、本件家屋には、控訴人の従前の妻坂本ツル及び同女と控訴人との間に生れた子女四名(三二才・三〇才・二〇才・六才)が居住し控訴人は佐賀市中町において、金子皐月(現在立石皐月で控訴人の妻)と同居していることはいずれも認める。控訴人は妻ツルと昭和二七年六月二五日協議上の離婚をなし(同日その届出をなした)、同年七月七日右皐月と婚姻し(同日その届出をなした)たのであるが、ツルとの離婚前から、前記中町において皐月と同居していたものである。従つて、かりに被控訴人の賃貸借解約の申入が有効であるとしても、控訴人はすでに本件家屋を明渡し、同家屋とはなにらの関係もないから被控訴人の本訴請求は排斥さるべきである。被控訴人の現住家屋の周囲・環境がその主張の通りであること及び昭和二八年一〇月控訴人が本件家屋の賃料を供託したことは、ともに否認する。該供託は坂本ツルが、控訴人名義を冒用してなしたものである。」と述べ、
被控訴人において「控訴人主張の離婚及び婚姻の事実は認めるが、控訴人は本件家屋の賃借人として、借受け当時の自己の家族を引取つて賃借家屋を明渡す義務があり、また、控訴人に対して明渡を命ずる判決の執行力は、右の家族にも及ぶものというべきであるから、控訴人が妻ツルと離婚の上、事実上本件家屋より退去していることは、前示の明渡義務に消長をきたすものではない。加之、被控訴人は控訴人から本件家屋を明渡したという通知を受けたこともなく、かえつて、控訴人は昭和二八年一〇月本件家屋の賃料を供託している程で、これは控訴人がいまなお、本件家屋の賃借人であることを前提としてなしたものというべきである。」と述べ
<立証省略>
た以外は、原判決の「事実」に示す通りであるから、ここに引用する。
三、理 由
一、本件家屋がもと訴外鶴省三の所有で、同人から控訴人が期間の定なく賃借居住しているうち、昭和二一年七月三日被控訴人が同家屋の管理人古賀正信からこれを買受け、即日所有権移転の登記をなし、その後所有者鶴省三において右売買契約を追認した結果(原審証人鶴省三の証言、同証言により成立を認め得る甲第三号証、原審被控訴本人の尋問の結果の一部によると、追認の日時は、昭和二二年八月一一日であると認める)、本件家屋が完全に被控訴人の所有となり、同人において賃貸人たる地位を承継し、右八月一三日控訴人に対し賃貸借解約の申入をなしたことは、当事者間に争がない。
二、よつて右八月一三日なされた解約申入の正当性について考えて見るに、被控訴人はその正当事由として、前記「事実」において引用した原判決事実摘示(一)ないし(七)のように主張するので順次判断する。ただし、正当事由あることは、解約申入の有効要件の一であるから、右(一)から(七)までのうち、八月一三日なされた解約申入後の事実・事情は、解約申入当時において当然予見されたかまたは存続する事実・事情であるなどの特段の事情がない限り、右同日になされた解約申入の正当事由として斟酌すべきではない。
(1) (一)について、被控訴人居住家屋の賃貸人馬場勘八は、当時満洲在住の義兄内田隆所有の家屋を借受け居住していたので、昭和二〇年暮頃から被控訴人に対して「内田一家が満洲から引揚げてきたら自己居住の家屋を内田隆に明渡し被控訴人に賃貸している家屋に移らねばならなくなると思う」といつた程度の話はしていたけれども、被控訴人に対して、明渡を請求したのは、前示解約申入の後である昭和二三年三月頃であつて、それまでは明渡を求めたことがないばかりでなく、控訴人が本件家屋を借受け居住するに至つたのは、当時同人は佐賀郡兵庫村の自己所有の家屋に居住して九州配電株式会社の技手を勤め、助産婦の免状を有する妻ツルは同家屋で助産婦業を営んでいたのであるが、田舎のこととて収入も思わしくなかつたので、偶々控訴人が同会社の佐賀支店に転勤を命ぜられた際でもあつたためこれを機会に夫婦協議の上、ツルが本件家屋において助産婦業を開業することとし、もつて一家挙つて佐賀市に永住すべく決意し、控訴人は昭和一〇年一〇月初め、前記鶴省三の先代鶴又市から、本件家屋を賃料月二八円の約で借受け(同人死亡により省三との間に賃貸借継続す。ただし家賃は月金二五円となる。)たのであるが、これを借受けるまでの賃借家屋の選定や本件家屋の賃貸借の成立は、全くツルの奔走折衝によるものであつて、当時給料漸く月金六五円に過ぎなかつた控訴人が、高額に過ぎる月金二八円の家賃で借受けたのも、単に賃金生活者としての控訴人一家の住宅とすることだけを目的としたのではなく、寧ろ、ツルの助産婦開業を主眼としたのであつて、法律上の借主は、控訴人であるとはいえ、控訴人家の経済的立場から見れば実際の借主として同家屋を利用したのは助産婦たるツルであり、さればこそツルの意見に従い当時本件家屋に附属していた小屋を仕切つて、これを四室の産室に改造し、その他助産婦業に必要な設備をなした外、佐賀新聞に開業の広告をなし、あるいは市街の要所に、ブリキ製の広告板を掲げるなどの宣伝広告に努め、また道路拡張のため、本件家屋が当局から移転を命ぜられた際には、板塀を自費で補修するなど、当時としては相当多額と認められる費用を投じたのであつて、かくして前記解約申入当時まで約一二年を経過し、助産婦として相当の信用を博していたこと、助産婦業は開業後同一場所で一〇年以上経たないと軌道にのらないので、佐賀市内で助産婦が移居したとすれば、一・二年間は信用がないため殆んど収入がなく、移居前の状態にまで回復するには、普通七年ないし一〇年を要するものであること、しかるに被控訴人は自己の使用に供する目的で本件家屋を買受けたのであるが、買受当時同家屋所在地区の隣保班長もしていたので、当然控訴人の妻が同家屋で助産婦業を営んでいることを知つて買受けたものと見るべきところ、買受けるにあたつて控訴人に対し明渡の意思の有無を確かめたならば、前陳のような事情からして当然明渡を拒否されることを知り得た筈であつたのにも拘らず、右明渡の意思の有無を確かめたことがないばかりか(もとより控訴人が明渡を約したことはない)その後も控訴人に対し移転先の提供等家屋明渡における住居・営業の安定(控訴人が前示兵庫村の控訴人所有家屋に容易く移転し得ない点は後記(5) 参照)を保障するについて、なにらの考慮を払つた形跡がないことが認められる。『以上は原審証人馬場勘八(第一・二回)、同古賀琢一、同立石ツル、当審証人坂本ツル(第一・二回)、同松尾コト、原審並びに当審控訴本人の尋問の結果、当事者弁論の全趣旨を綜合す。』以上の認定に反する原審証人彌永ミツ、原審並びに当審被控訴本人の尋問の結果は採用しない。
従つて(一)の事実は前示解約申入に関する限り、その存在が否定されるので、到底採用の限りではない。
(2) 本件係争家屋及び被控訴人居住家屋の間取り、後者の構造・その周囲の状況及び火災保険料が他と比較し高率である点、被控訴人が歯科医の材料商を営む(この点は当事者間争がない)外他の営業を営む点及び同人の家族関係については、原判決認定の通りであるからこれを引用し、右認定以外の被控訴人の前示(二)以下の主張について考える。
(3) (二)(三)について、被控訴人居住家屋が狭隘であるため、商品の置場にも困窮するとの点については、昭和二二年八月一三日当時のわが国の経済事情、一般商品の出廻り状態から推して、右主張に副う原審被控訴本人の尋問の結果は、到底信用できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。そして右(二)のうち、薬事法及び歯科用金地金管理規則の施行に伴う事情は、すべて右解約申入後のことに属するから、同解約申入の正当性について斟酌すべき限りでない。また原審被控訴本人の尋問の結果(第一・二回)によると、同人の長女和恵は、前示解約申入当時一八歳であつたことが明らかであるから、当時はいまだ薬剤師の免状も有しなかつたと推認され、格別の事情がない限り亦婚姻を急ぐ程の年齢に達していたともいえないので(三)の主張事実は前示の解約申入に関するかぎり理由がない。
(4) (四)について、火災保険料が高率であるため、十分に保険に加入もできない旨の主張に副うかのような原審被控訴本人の尋問の結果(第二回)は採用し難く、その他の点については前示原判決認定の通りであるが、この事実のみをもつては、解約申入の正当事由となし得ないことは言をまたない。
(5) (五)について、控訴人が昭和二七年六月二五日妻ツルと離婚をなす以前佐賀市中町において妻以外の婦人(同女が金子皐月であつて、同年七月七日控訴人と婚姻したことは当事者弁論の全趣旨に照らし明らかである。)と同居してきたこと及び控訴人が佐賀郡兵庫村で住宅を有することは当事者間争がないけれども、原審証人立石ツル及び当審証人坂本ツル(第一回)の証言の一部によると、控訴人が金子皐月と佐賀市中町で同居するに至つたのは、前示解約申入の時から数十ケ月を経過した後のことに属し、解約申入の当時においては、予想もされなかつた事柄であるばかりでなく、控訴人は皐月と同居後も本件家屋に去来していたのであつて、前記解約の申入当時はもとより家族と共に本件家屋に居住していたことが認められる。当裁判所は以上の認定に反する証拠は総べて採用しない。されば控訴人が右解約申入当時、本件家屋に居住しなかつたかのような主張は失当である。
原審証人彌永ミツの証言の一部及び当審控訴本人の尋問の結果並びに当事者弁論の全趣旨によると、兵庫村に控訴人が被控訴人主張のような間取・構造を有する住宅を有し、昭和二六年夏頃までその一部を他人が借受けていたけれども、該家屋には従来から控訴人の実弟一家が居住し事実上同人の所有と選ぶところがない状態であることが認められるので、控訴人が同家屋を所有するということは、前記(1) に認定した事実と照らし合せると、被控訴人のなした解約の申入を正当と認めるわけにはいかない。
(6) (六)について、この主張事実は前示解約申入後の事実であるから、同解約申入の正当性について斟酌すべき限りでない。
(7) (七)について、この主張事実の採用し難いことは右(1) 及び(5) に認定したところから明らかであろう。
以上説示の通り昭和二二年八月一三日の解約申入を原因とする被控訴人の本訴請求は排斥を免れない。
三(1) しかしながら、解約の申入をしたことを原因として家屋の明渡を訴求する賃貸人は、賃貸借関係の存続を欲しない意思を確定的に表明するものというべく、該訴の提起及びその維持は反対の事情がないかぎり解約の申入を内含するものと解すべきであり、殊に本件においては、被控訴人の主張事実に徴するも、訴の提起以後の事実をも解約申入の正当事由として挙示していることが明らかであるから、記録によつて明認し得る、控訴人に対し本件訴状が送達せられた昭和二六年六月一四日以後昭和二八年一一月一三日までの間に正当の事由が存するか否かを考察せねばならない。(建物の賃貸借においては賃貸人の解約申入は六月前にこれをなすことを要し、かつ、解約申入について、正当の事由の存することを有効要件とするので、本件口頭弁論終結の日であること当裁判所に顕著な昭和二九年五月一四日から遡つて六月前の昭和二八年一一月一三日までに正当の事由が存しなければならないのである。かりに、その後口頭弁論終結までの間に正当の事由が存在するに至つたとしたところで、当該明渡の請求は排斥を免れないと解すべきである。)
(2) 控訴人が佐賀市中町で金子皐月と同居しているうち、昭和二七年六月二五日妻ツルと離婚し、ついで同年七月七日右皐月と婚姻したことは先に認定した通りである。そして成立に争のない甲第七号証及び当審証人坂本ツルの証言(第二回)並びに当事者弁論の全趣旨によると、控訴人は右離婚にあたり、妻ツルに対し、財産分与等のため金三〇万円を与え、また、前記二の(1) 認定のような事情もあつて本件家屋の賃借権を分与し、協議の上未成年の三女ルリ子の親権者をツルと定め、ツルにおいてルリ子を引取り監護することとし、なお、成年の子女は、その希望に従い総べて控訴人から離れてツルに従い母たるツルと共に本件家屋に居住することとなつて、引続き同家屋に居住していること及び控訴人は前記中町に引続き皐月と同居していることが認められ、これに反する証拠はない。以上の事実によれば控訴人の子女は、ツルの占有に包摂せられて本件家屋に居住するものと解するを相当とする。従つて控訴人は少くとも離婚と同時に本件家屋に居住しこれを占有し得べきなにらの必要も理由も有しないというべきであるから、右離婚の日から六月を経過した日において、本件賃貸借は解約申入によつて終了したと見るべきである。
四 しかるに控訴人は、前記ツルは昭和一〇年一〇月以来今日まで本件家屋において助産婦業を営んでいるので、公共の福祉のため、また家族(右ツル及び同女と控訴人間の子女を指す、以下同様)の生活安定のため、本件家屋は絶対に必要であり、被控訴人はツルが助産婦業を営んでいることを知りながら、これを買受けたのであるから、引続き賃貸人たる地位に甘んずべきで、本件明渡の請求は不当であると主張するのであるが、前認定のように、控訴人が妻ツルと離婚し、本件家屋の賃借権を同女に分与し、子女は協議の上母ツルに従つて同家屋に居住することとなり、控訴人は他の婦女と婚姻して別に居住しているがごとき場合においては、本件家屋に居住すべき必要も理由も有しない控訴人が、もはや他人となつた従前の妻の営業を云為して明渡を拒否する抗弁とすることは失当であり、子女も控訴人から離脱し母ツルに従い居住している以上、右子女の住居の安定はツルの保障の下にあるものというべく、本件家屋に関する限り、右子女の居住は控訴人の占有下に存しないことが明らかであるから、前示主張は採用し得ない。
五 つぎに控訴人は、かりに本件解約の申入が有効であるとしても、既に控訴人は本件家屋から退去しこれを明渡しているので、本訴請求は失当であると主張し、被控訴人は右明渡の事実を否認し、控訴人は賃借人としてその家族を引取り、本件家屋を明渡すべき義務があり、かつ控訴人に対し本件家屋の明渡を命ずる判決の執行力は、右家族にも及ぶ旨主張するので、ここに一括して考察する。
(1) 家屋の明渡を命ずる判決は、当該明渡請求権の存在をも確定する効力を有するのであるが、控訴人の原審以来の口頭弁論の全趣旨及び原審並びに当審控訴本人の尋問の結果によると、控訴人は本件賃貸借関係はいまなお被控訴人との間に存続しているとして、その終了していることを争つていることが明らかであるから、控訴人が本件家屋から退去しているという事実は、同人に対し本件家屋の明渡を命ずる判決をなす支障となるものではない。
(2) 家屋明渡の訴訟の口頭弁論終結前賃借人が、無断で第三者に賃借権を譲渡し、または転貸した場合においてさえ、賃借人に対し家屋の明渡を命ずる判決の効力(執行力)は賃借権の譲受人または転借人に及ばないのであるから、前示三の(2) に認定したような経緯の下に本件家屋に居住するツル及び同人の占有に包摂せられて同家屋に居住する子女に対しては、控訴人に対し明渡を命ずる判決の効力が及ばないのは多言を要しない。しかして、右判決の効力が家族に及ばない以上は、控訴人が家族を引取つて家屋を明渡すべき義務があるか否かは、明渡義務の不履行に基く損害償請求の訴訟においては判断する必要があるにしても、明渡請求権のみを訴訟物とする本訴においては判断するを要しない事項であるのでこれを省略する。
六 よつて被控訴人の本訴請求を認容すべきである。原判決は以上当裁判所の説示するところと理由において異るけれども、被控訴人の請求を認容した結論においては相当であつて、控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条・第九五条・第八九条を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 桑原国朝 二階堂信一 秦亘)